花粉症のメリットって、他愛と内容のない会話のバリエーションに困らないくらいじゃないですかね。しばらくは誰相手でも「花粉つらいよねー」と言っときゃ5分はもちます。それ以外見つかりませんカンナです。私は貝になりたい。この時期限定。

今日またデビュー前からお世話になっている1st担当こと恩人ジジイこと教授に会ってごはんを食べまして、例によって例のごとく叱咤激励されました。主に叱咤ですが。
教授は「初めてお前のマンガ読んだ時、本当に才能あるなーって思ったのによー」とここ10年事あるごとに言うのですが、本日、教授の中の「初めて読んだお前のマンガ」が3作目だった事が判明し、というかその『父を訪ねてだいたい3千匹』(双葉社より絶賛発売!まだしてるはず!)は教授発案であって才能とは少し違う気がします。

じゃあ初めて教授が読んだマンガって何になるかというと、新人賞に出した動物モノのショートマンガです。
「ぐうたら町の動物たち」というタイトルで、しゃべる動物のドタバタギャグを4ページで5本くらい送りました。
もともとこのマンガは小学校6年の時、1ページに小さいコマを20コマくらい並べて、1ページ完結スタイルでノート一冊分描いたものでした。
大人になってさあ具体的にマンガ家目指そう!と原稿に取り組んだ時、16ページとか32ページといった基本のページ数が描けず苦労しまして…10ページ過ぎると不安になるというか飽きるというか、どうしても途中でダレでいやになるのです。(ちなみに今もです)
あーマンガ描くの辛い、しんどい、なんでマンガ家なろう思ったんやったっけ?昔は描くんめっちゃ楽しかったのに!10ページどころかノート一冊描いてたのに!と悩みに悩み、そこで思い出したのが「ぐうたら町の動物たち」でした。
16ページは無理でも4ページには引き延ばせる。そしたら双葉社の新人賞に出せる!と奮い立ち、送った作品が教授の目に留まり、担当になっていただいたわけです。

受賞後1年教授に「ぐうたら町の動物たち」のネームを送り続け、反応は毎回「おもしろいよーウチでは毛色が違いすぎて連載できねーけど」でめげそうになりましたが開き直って送り続け、毛色が合いそうなまんがタウンの編集部に紹介していただき、そこでは「動物がしゃべるというありえない非日常的なマンガはちょっと…」と言われ(よう考えたらなんでやねん)結局デビュー作は試食販売人のネタでした。バイトはなんでもやっとくもんやね!
そして上京し、教授が新しく雑誌を立ち上げて新連載のチャンスが掴め、提案されたのが「ネズミ年だからネズミのマンガ」。
それが前述の『父を訪ねてだいたい3千匹』(オンデマンドペーパーバック発見!でもこれちゃんと印刷されんのかな!責任持てん!)で、ここから私のマンガ人生は始まったわけです。

…という事を今日教授と喋っていて二人とも思い出しまして。
いやもちろん忘れていたわけではないのですが、思い出の詰まった宝箱の一番奥、一番いい位置に置いたっきりで触れるのはものすごく久しぶりだったのです。まあ教授は忘れ去ってましたが。
当時のノートを読み返すと、そんなおもしろくはないです。喋る動物が人間のマネしてスケートしたり海水浴をしたり、当時友達のいなかった私がやりたいことをすべて詰め込んだだけの、毒にも薬にもならない話ばかりですあれおかしいな目から汗が。
ただ、めっちゃ楽しかったです。
だからマンガ家になったといっても過言ではないくらい、楽しかったです。

もちろん今メインで進めてる伝統工芸や伝統芸能などを取材して描くスタイルも楽しいですし好きですけどね!
でもまた原点に戻って、ぐうたら町に立ち寄るのもええかもしれません。26年ぶりに。
なんか描けたらどっかで発信しましょうそうしましょう。

…ていうかなんでフラダンス?あと「メトロノーム」て。マラカス振りすぎちゃう?
小学生の感性はわけわかりませんね。将来どんな大人になるやら。